呉世栄さん
「日本軍が来る前に共産党の人たちを見たことがある。子どもの時、九所村の自分の家に泊まったことがある。
森の中に共産党の人がいた。
日本軍が来て、共産党だと思う人は全部殺された。夫の兄弟が共産党に入っているといって二人とも殺されてしまった。
二人の家は、二軒とも壊された。父の兄も殺された。
公昌村も日本軍に襲われ、多くの人が殺された。わたしは、日本軍にむりやり洗濯をさせられた。
いちど逃げたがまた捕まった。今でもあの時のことを思うと、涙が出てくる。女の人は何人も洗濯をさせられていた。
わたしは洗濯を拒んだら、怪我をさせられて、労工にされた。日本軍の建物のなかで壁に漆喰を塗ったりさせられた。
日本軍は、九所村の家を壊して譚門に運んで砲台を造る材料にした。
九所村で生き残った人は労工にされ、砲台を造らせられたりした。
日本軍は、若い男たちを選んで、三亜や陵水に連れていった」。
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16歳のとき結婚して九所村を離れ、
近くの公昌村に住む呉世栄さん(1921年生)
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